2019年04月12日

邪馬台国の社会体制と政治

魏志倭人伝によると邪馬台国には身分の差があったことが記されている。

尊卑各々差序あり。と記されていて、
王、大人、下戸の身分の他に、生口や奴婢と呼ばれる奴隷階層の人もいた。

卑弥呼が死んだ時は、奴婢100余人が殉葬されたとしている。
そして、卑弥呼の死後、内乱が起きて、卑弥呼の一族の娘である壱与(台与)が王位についたとされている。
これは、王権が世襲化していたことを示している。

卑弥呼や壱与は、その統治に際して、中国王朝の権威を利用していた。
卑弥呼は239年(景初3年)に魏に貢物を送って、親魏倭王とされ、魏から銅鏡100枚を与えられている。
一方、壱与も、晋に使いを送っている。


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邪馬台国の卑弥呼の政治

邪馬台国の卑弥呼は、鬼道につかえて、よく衆をまどわす。とあり、呪術を使い、司祭王としての権威のあるシャーマニズム的な巫女王としての性格が強かったと考えられている。

邪馬台国には、4つの官があり、伊都国には、一大率とよばれる検察の官が派遣されていて、28カ国を統属していた。

そして、狗奴国と争っていたことが分かっている。


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2019年04月10日

邪馬台国の位置

邪馬台国がどこにあったかは、古くから議論されており、次の2つの説が有力である。

九州説

大和説(奈良県)

朝鮮半島には、205年ころに帯方郡が新たに設置されており、魏志倭人伝には、帯方郡から邪馬台国までの里数、日数、方位などが記されている。
この記述の解釈と遺跡、遺物の対比によって、邪馬台国の所在が論争されている。
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